酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


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7313 軍艦鈴谷戦没者慰霊碑(呉市上長迫町・旧海軍墓地)

鈴谷 (重巡洋艦)
鈴谷(すずや)は、日本海軍の重巡洋艦[2][3]。 最上型重巡洋艦(二等巡洋艦最上型)の3番艦である[4]。その艦名は、樺太の鈴谷川から取って名付けられた[5][6]。 日本海軍の軍艦としては、通報艦(防護巡洋艦)鈴谷[7](旧ロシア帝国軍艦ノーヴィック)に続いて二代目[5][8][9]。 15.5cm砲搭載の二等巡洋艦(軽巡洋艦)として建造され[10]、後に主砲を20cm砲に換装し重巡洋艦となった。日本海軍の書類上の分類は、戦没まで二等巡洋艦(軽巡洋艦)だった[4]。


概要
日本海軍は艦齢を重ねた旧式艦の代艦を建造することになり、軽巡の場合は最初に4隻(龍田、天龍、球磨、多摩)を以下4隻(最上、鈴谷、三隈、熊野)と置換することにした[11]。 第四艦隊事件により最上型の船体強度に問題があることが判明したため、船体線図が改正された。そのため1番艦(最上)、2番艦(三隈)とは船体形状に違いがあり、鈴谷型(鈴谷・熊野)と分類されることもあるが、日本海軍の書類上の分類は4隻とも二等巡洋艦最上型である[4]。また、ボイラーは初期2艦(最上、三隈)の重油専焼罐大型8基小型2基・計10基から、重油専焼罐大型8基に変更されている。そのため、第3砲塔と艦橋構造物との間の大型吸気トランクがなく、一番煙突の太さもボイラー減少の分だけ径が細くなっている。


未成に終わった次級伊吹型(伊吹)も、マストの位置変更や一部兵装変更以外は、ほぼ同型のまま起工された。


1934年(昭和9年)11月20日の鈴谷進水式には昭和天皇が臨席[12][13]。 太平洋戦争開戦時の本艦は第七戦隊(司令官栗田健男少将)に所属して、マレー作戦、蘭印作戦、セイロン沖海戦(通商破壊活動)、ミッドウェー海戦(支援部隊)等に参加。1942年(昭和17年)6月25日、第七戦隊司令官は西村祥治少将に交代[14]。本艦は第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦(ヘンダーソン基地砲撃)、ニュージョージア島の戦い(コロンバンガラ島沖海戦)、ラバウル空襲等に参加。1944年(昭和19年)3月25日、第七戦隊司令官として白石萬隆少将着任後は[15]、マリアナ沖海戦、捷号作戦に参加。10月25日、サマール島沖追撃戦(レイテ沖海戦)で空襲を受け、酸素魚雷が誘爆、沈没した。


詳しいことは、「鈴谷 (重巡洋艦)wikipedia」をご覧下さい。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E8%B0%B7_(%E9%87%8D%E5%B7%A1%E6%B4%8B%E8%89%A6)
(wkiより)