酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


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7136 島津忠済・田鶴子墓(鹿児島県鹿児島市池之上町48・福昌寺)

島津 忠済 ( しまづ ただなり、安政 2年 3月 9日 ( 1855年 4月 25日 ) - 大正 4年 ( 1915年 ) 8月 19日 ) は、明治時代の華族。島津久光の七男。島津忠承は長男。


略歴
明治 21年 ( 1888年 ) 1月 25日、父の死去に伴い玉里家の家督を相続し、公爵を継承。


宮内省宗秩寮審議官、貴族院議員、麝香間祗候などを務めた。


栄典
・1906年 ( 明治 39年 ) 4月 1日 - 勲四等旭日小綬章[1]
・1915年 ( 大正 4年 ) 8月 19日 - 従一位・勲一等瑞宝章[2]


脚注
1. 『官報』第7272号「叙任及辞令」1907年9月23日。
2. 『官報』第917号「叙任及辞令」1915年8月21日。
(wikiより)


 島津忠済