酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

また前記事については、「リンク」より『 酔いどれJohnny『意外と身近にある歴史散歩』 』を御覧下さいませ。

7198 篠崎仲苗墓(鹿児島県鹿児島市南林寺町)

島津斉彬の側役である名越彦太夫高房の次男[3]。薩摩藩江戸藩邸留守居役。慶応3年12月25日 (旧暦)、江戸幕府の命により庄内藩が藩邸を襲撃し戦死。


篠崎 仲苗(しのざき なかなえ、文政9年6月3日(1826年7月7日) - 慶応3年12月25日(1868年1月19日))は幕末の薩摩藩の武士。


諱は仲苗。通称は彦十郎。


島津斉興から島津忠義に仕えた名越彦太夫高房の次男で本姓橘氏で母方にあたる篠崎蔵太左衛門家の養子となり、名跡を相続する。



江戸芝藩邸において江戸留守居を務めていたが、庄内藩を中心とする江戸幕府軍による薩摩藩邸焼き討ち事件の際に戦死。墓は現在、鹿児島県鹿児島市の南林寺墓地にある。


宅地
『鹿児島城下絵図散歩』では安政6年(1859年)の地図に、現在の鹿児島市清水町の地に『篠崎彦十郎』の名が見え、宅地221坪と表記されている。


親族
・実父:名越彦太夫高房(名越左源太家分家筋の当主。家格代々小番。広敷御用人や側役、当番頭などを務める)


・母:篠崎蔵太左衛門仲教の姉


・兄:名越彦之進盛恭(仲苗が篠崎家にいって以降、夭折)


・弟:名越彦太夫高温(初め彦兵衛。父の家督を相続。奥小姓や目附を務める)


参考文献
・宮下満郎『戊辰・西南戦争と名越彦太夫』(敬天愛人別刷)西郷南州顕彰会


・塩満郁夫、友野春久『鹿児島城下絵図散歩』高城書房


・『要用留 天明6年 名越氏』鹿児島県立図書館所蔵
(wikiより)