酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


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また前記事については、「リンク」より『 酔いどれJohnny『意外と身近にある歴史散歩』 』を御覧下さいませ。

7102 島津綱久墓(鹿児島県鹿児島市池之上町48・福昌寺)

島津 綱久 ( しまづ つなひさ ) は、薩摩藩の世嗣。


正室は伊予松山藩第2代藩主・松平定頼の娘 ( 眞修院殿 )。側室は記録に残っていない。子に綱貴 ( 長男、第 3代藩主 )、久季 ( 三男、加治木島津家へ養子 )、娘 ( 酒井忠隆正室 )、娘 ( 鳥居忠英正室 ) ら。  


生涯
寛永 9年 ( 1632年 ) 4月、第 2代藩主・島津光久の長男として生まれる。


母は伊勢貞豊の娘 ( 曹源院殿、薩摩藩家老・伊勢貞昌の孫 )。


慶安 4年 ( 1651年 )、将軍・徳川家綱より、「松平」の名字と、「綱」の一字 ( 偏諱 ) を賜って松平薩摩守綱久と称する ( 村川浩平「島津氏への松平氏下賜」)。


嫡男として光久の後継者と目されていたが、延宝元年( 1673年 ) 2月、父に先立って 42歳で早世した。代わって長男の綱貴が家督を継いだ。


人物、逸話
・剣術示現流宗家師範家の東郷氏と関係があり、東郷重利に子の実満が誕生した時には祝福し、実満を見たがっていたが、叶うことなく綱久は死去したという ( 示現流聞書喫緊録付録系図 )。
(wikiより)