酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


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歴史の時間 185

快進社
快進社(かいしんしゃ、英語名Kwaishinsha )は日本初の国産自動車メーカーであり、日産自動車の前身である。


沿革
・1911年(明治44年)7月1日 - 当時37歳の技術者橋本増治郎(はしもと ますじろう)により「快進社自働車工場(英語名Kwaishinsha Moter Car Works )」として創立。橋本の支援者の一人であった 竹内明太郎 の実弟、当時外交官(イタリア大使館三等書記官)であった後の総理大臣 吉田茂 の所有する東京府渋谷村麻布広尾88番地(現・東京都渋谷区広尾5丁目)の地に創業した。


・1914年(大正3年) - 上野で開催された東京大正博覧会に、V型2気筒10馬力エンジンで3人乗、最高速度は32 km/hの「脱兎号(DAT CAR)」を出品し、銅牌を受賞。エンジンを含めた日本の純国産自動車の1号車である。
「DAT」とは、橋本の協力者、男爵 田健治郎 (後の第8代台湾総督で田英夫参議院議員の祖父)、通信技術者で同郷の友人、安中電機製作所(現・アンリツ)社長となった 青山祿郎、コマツの創業者で日本の工業界に多大な貢献を果たした竹内明太郎、の、三人のイニシャルを並べたものである。1918年(大正7年) - 橋本は東京府北豊島郡長崎町3923番地(現・東京都豊島区長崎5丁目)に資本金60万円の「株式会社快進社」を設立。直列4気筒15馬力エンジンで5人乗、セルフスタータ付のDAT41型を生産した。


・1923年(大正12年) - 第一次世界大戦後の世界恐慌と関東大震災不況により資本金を6万円に減資。


・1925年(大正14年) - 「株式会社快進社」を解散し、「合資会社ダット自動車商会」に改組。


・1926年(大正15年) - 久保田権四郎の「実用自動車製造株式会社」と合併し、「ダット自動車製造株式会社」(本社:大阪市)が誕生。


・1930年(昭和5年) - 後藤敬義技師らにより「DATSON(のちのDATSUN)」が誕生した。


・1931年(昭和6年) - 「戸畑鋳物株式会社自動車部」として、戸畑鋳物株式会社(本社:福岡県、社長:鮎川義介)の傘下に入る。


・1933年(昭和8年) - 「自動車製造株式会社」として再創立され、翌1934年(昭和9年)に「日産自動車株式会社」と改称した。


・2011年(平成23年) - 快進社創立100周年を記念し、国立科学博物館の「快進社100 周年記念展」が開催された。


関連項目
・一号車よ、走れ!  NHK銀河ドラマ(1970年〈昭和45年〉) 快進社を創立した橋本増治郎をモデルに、国産自動車の製造に人生を賭けた先駆者の苦悩と情熱に妻の愛情を絡めて描いた一代記ドラマ。


外部リンク
・日本自動車殿堂 橋本増治郎
・日産自動車株式会社 日産自動車のあゆみ
・三樹書房 ダットサンの忘れえぬ七人
・エンブレムダットサン
・国立科学博物館 「快進社創業100周年記念展」
・歴史が眠る多磨霊園
(wikiより)


 大正 3年、ほぼ完全純国産の自動車「脱兎号 ( DAT CAR ) 」が開発される。