酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


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7089 第十二代・島津忠治墓(鹿児島県鹿児島市池之上町48・福昌寺)

島津 忠治 ( しまづ ただはる ) は、室町時代後期の薩摩国の大名。島津氏の第 12代当主。


生涯
長享 3年 ( 1489年 )、島津氏第 11代当主・島津忠昌の長男として誕生。


永正 5年 ( 1508年 )、父・忠昌が自殺したため、その跡を継いで当主となった。


この頃の島津氏は、領国内で一族や国人らによる内乱をかかえていたが、忠治は温厚かつ学問好きの当主で、『織鷹秘訣集』を著したり、亡き足利尊有のために鹿児島に大興寺を建立したりするなど、戦国の世と合わないことを多く行ったため、内乱はさらに促進された。


永正 12年 ( 1515年 )、大隅国吉田城の吉田位清攻めのときに陣中で死去。享年 27。


墓所ははじめ吉田佐多浦の津友寺であったが、後に鹿児島の福昌寺に改葬された。後を弟の島津忠隆が継いだ。
(wikiより)