酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


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7064 島津久保墓(鹿児島県鹿児島市池之上町48・福昌寺)

島津 久保 ( しまづ ひさやす ) は、安土桃山時代の武将。島津義弘の次男。


略歴
豊臣秀吉の九州征伐後、日向国諸県郡に所領を与えられたが一時的ではあるが豊臣氏の人質となる。


早くから伯父・義久、父・義弘から後継者と目され、小田原征伐や文禄の役に参陣したが、文禄 2年 9月 8日 ( 1593年 10月 2日 )、朝鮮国の唐島 ( 巨済島 ) で病死した。享年 21。殉死者が 3名出ている。


伯父である義久は久保を弔う為に、冒頭に「南・無・阿・弥・陀・佛」を冠した和歌を詠じている[3]( 後述 )。


また、堀之内久規と平山忠続という者が、久保の菩提を弔うために山伏となり ( 久規は日限坊、忠続は一忠坊と改名 )、六十余州を廻歴して一国三部の法華経を納めている。


愛猫
朝鮮出兵で父・義弘は正確な時刻を計るために猫を 7匹従軍させた。これは猫の目が明るいところでは細くなり、暗いところでは丸くなる変化から、時刻を読み取ったものである。


7匹のうち生還できたのは2匹だけだが、そのうちの 1匹を久保が可愛がり、ヤスという名前で、白地に黄色の波紋があった。


磯庭園の一角に猫神神社がありこの 7匹の猫が祀られている。絵馬は白と黄色の猫で、ヤスの模様を表している[4]。


島津義久の弔いの和歌
・「南」 なく蟲の 聲は霜をも 待やらて あやなく枯るる 草の原かな
・「無」 紫の 雲にかくれし 月影は 西にや晴るる 行衛なるらん
・「阿」 雨はただ 空にしられぬ 習なれや 憂き折々の 袖にかかりて
・「弥」 みし夢の 名残はかなき ね覚かな 枕にかねの 聲ばかりして
・「陀」 尋ねても 入らまし物を 山寺の ときおく法の 深きこころを
・「佛」 筆をみぎに 弓を左に もてあそぶ 人のこころや 名に残らまし


脚注・出典
1. 『戦国史料叢書6 島津史料集』島津氏略系に記述。


2. 『戦国史料叢書6 島津史料集』島津氏略系、『上井覚兼日記』、『延陵世鑑』他に記述。


3. 『島津中興記』青潮社 1979年


4. 須磨章『猫は犬より働いた』(柏書房、2004年)145-149頁
(wikiより)