酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

また前記事については、「リンク」より『 酔いどれJohnny『意外と身近にある歴史散歩』 』を御覧下さいませ。

7035 島津墓地・松峰院西福寺跡(南九州市知覧)

このハンドルネームになってからは、初のお墓ネタで御座います。


此方では " 21人 " の方が埋葬されているため、23回同じ画像が出てきますが宜しく御願い致します。




西福寺は禅宗系 ( 曹洞宗 ) のお寺で、知覧島津氏の菩提寺となっています。


第 3代佐多氏義の命により、覚隠和尚が開山したのが、応永年間中期 ( 15世紀初旬 ) のことです。


元々は、姓の由来ともなった大隈の佐多に建てたものを知覧を治めるようになり、こちらに移したものです。


この墓地には、文和 2年 ( 1353 ) より知覧を地頭として治めた第 4代国主島津忠宗の第 3子の忠光から、現在まで歴代当主が眠っています。


明治 2年の版籍奉還の領主までだと 22代ということになります。


この忠光を知覧島津氏 ( 佐多氏 ) の初代としています。


また、初代忠光から第 15代久利までは佐多姓を名乗り、第 16代久達から島津姓を名乗ることが許されています。


当初、拠点となったのはここから約 1.5km南東にある知覧城 ( 国指定史跡 ) でした。


ところが天正 19年 ( 1591 ) 第 11代久慶の時代、海賊事件により川辺の宮村に転封となります。


このころ知覧城は火災により焼失したと伝えられています。


この事件で知覧は島津本家の直轄地となり、次いで文禄 4年 ( 1595 ) から慶長 4年 ( 1598 ) まで種子島氏が知覧を治めました。


慶長 15年 ( 1610 ) に再び知覧地頭に復帰した第 12代忠充は、本拠 ( 御仮屋 )をここから約 500m東の地点に移しました。


佐多氏は初代の忠光から第 15代の久利までは知覧を地頭として治めています。


ところが、久利が夭死 ( ようし ) ようし ) したため藩主光久の五男久達が佐多氏第 16代として迎えられます ( 寛文 12年・1672 )。


この久達の活躍により、知覧を私領地とするこ ( 延宝 5年・1677 ) と島津姓が許されます ( 正徳元年・1711年 )。


また 第 18代久峰の時代に御仮屋を上郡 ( 現在残る武家屋敷群内 ) に移し、区画整備を行ったとされています。


しかしその時代は宝暦治水もあり財政的にかなりひっぱくしていたことから、現在の武家屋敷地区を整備したのは、知覧を初めて私領地とした久達の可能性もあります。


知覧島津氏は領主となって以降も代々、家老・若年寄など薩摩藩の重席にあり藩政の充実に貢献しました。
(案内板より)


 このように " 竿石? " が中に入っているんです。