酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

また前記事については、「リンク」より『 酔いどれJohnny『意外と身近にある歴史散歩』 』を御覧下さいませ。

雑談

小生 T町 ( 現・N 2丁目 ) で生まれました。


今は無き T小学校に通い、毎日授業前に「肝油ドロップ」を 2個貰い食べておりました。


3年生の時、学校が終わって「M君」と近くの公園で遊んでいました。


その時 M君が「切手」をくれるおじさんがいるんだけど一緒に行かない? 
と誘われました ( 当時は切手ブームで集めている人が多かったです )。


時間を聞くと、夜 7時30分に行くと言いました。


ウチでは 5時には銭湯に行って、7時近くには夕飯を食べていたので・・・


小生は行かないと言って断りました 


その後、公園で遊んで分かれる時 夕日に顔を照らされているM君を見ながら、お互い「ジャーね」と言って手を振った事を、いまでも覚えています。


それから何日も何日も、M君は学校に来ませんでした。


M君が学校に来なくなり数週後、集団登校で登校すると「黒塗りの車」が何台も駐車しています。


クラス内には見た事のない大人の人が何人もいました


担任の先生が教室に入ってきてから、皆の前で「M君は亡くなりました」と言いました


なんとも言えない気持ちになり涙が止まらなかったです。


クラス内にいた知らない人達は、新聞やTV局の人だったと後に知りました


その日の授業は中止になり、クラスメイトが 1人ずつ呼ばれてM君について聞かれました。


小生は、公園で話した事を話して 数日後、犯人は逮捕されましたが・・・


当時からトラウマになった事は確かで、M君が手を振っている夢を何度も見ましたが、見る度に自分が嫌な気分になっていました。


 事件概要
1970 ( 昭和 45 ) 年 10月 17日、東京・台東区の Mちゃん ( 8 ) が「遊びに行ってくる」と言って家を出たまま行方不明となった。


家族の通報で警察や近所の住民が懸命に Mちゃんの捜索を行なったが同月 30日になって、埼玉・戸田市の荒川河川敷の草むらに刃物でメッタ刺しされた Mちゃんの遺体が発見された。


警察は直ちに、誘拐殺人事件として捜査を開始。


すると、公園で切手を配って子供達に人気がある中年の男がいることを聞きつけた。Mちゃんは、家を出る時「切手をもらいにいく」とも言っていたため、この中年の男が事件の重要な鍵を握っていると断定。この男の行方を追った。


間もなく警察は、土木作業員手配師の加藤治成 ( 45 ) を誘拐殺人及び遺体遺棄の容疑で逮捕した。


加藤は、警察の取り調べで Mちゃんの殺害を認め、更に 1965 ( 昭和 40年 ) 10月に小金井市で行方不明になっていた典孝君 ( 12 ) の誘拐殺人も自供した。


加藤は、軍隊時代に同性愛を強要されたことから性的な倒錯をきたし、以来子供にいたずらしたり、裸の写真などを撮っていたという。一方で、妻を持ち外面的には普通の生活をしていた。


1973 ( 昭和 48年 ) 1月、東京地裁は加藤に死刑を言い渡した。


1978 ( 昭和 53年 ) 1月 26日、最高裁は加藤の上告を棄却して死刑が確定した。


1981 ( 昭和 56年 ) に東京拘置所で死刑執行。享年 56歳。