酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

また前記事については、「リンク」より『 酔いどれJohnny『意外と身近にある歴史散歩』 』を御覧下さいませ。

7430 石造近藤守重座像(北区滝野川2・正受院)

座像は、現在の千島列島から北海道までの蝦夷地( えぞち ) を探検し、エトロフ島に「大日本恵土呂府 ( だいにっぽんえとろふ )」という標柱を建てた近藤守重 ( こんどう - もりしげ ) の肖像です。


守重は、明和 8 ( 1771 ) 年、江戸町奉行所与力の次男として生まれ、家督を継いで、通称を重蔵 ( 重蔵 )、号を正斎 ( せいさい ) と称しました。


寛政 10 ( 1798 ) 年 3月、幕府から蝦夷地の調査を命じられ、北方交易の海商・高田屋嘉兵衛の協力で、石像のように、甲冑 ( かっちゅう ) に身を固めてエトロフ島に渉り、現地の開発に尽力しました。


また、利尻島の探検にも参加し、蝦夷地についての著書も著しましたが、文政 5 ( 1822 ) 年から 9年までの 4年間を、正受院の東隣に、滝野川文庫という書斎を設けて住みました。


石造近藤守重座像は、この記念に、江戸派の画家として著名だった谷文晁 ( たに - ぶんちょう ) に下絵を依頼して製作したと伝えられます。
(案内板より)