酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

また前記事については、「リンク」より『 酔いどれJohnny『意外と身近にある歴史散歩』 』を御覧下さいませ。

7429 加瀬邦彦墓(文京区大塚5・護国寺)

加瀬 邦彦(かせ くにひこ、1941年3月6日 - 2015年4月20日[1])は、日本のミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー。
経歴・人物
東京府(現東京都)生まれ。1957年11月、慶應義塾高等学校1年生の時、東京都から茅ヶ崎市に移住したが、これが縁で同年12月23日にアメフト部の先輩の紹介により俳優上原謙のクリスマス・パーティーに誘われ、当時慶應義塾大学2年生だった加山雄三に出会い、音楽面のみならずプライベートでも親交を深めるようになる。


1961年には慶應義塾大学時代、初めてのバンド「ザ・トップビーツ」を結成する。その後ホリプロに所属し、清野太郎、かまやつひろしらと「キャノンボール」を結成。1963年には事務所命令により、かまやつひろしと共にザ・スパイダースに加入するも、寺内タケシの誘いを受けるために約3カ月で脱退し、1966年まで寺内タケシとブルージーンズ(1965年の東宝映画『海の若大将』や1966年の東宝映画『クレージーだよ奇想天外』などでその姿を窺える)に加入した。 次第にビートルズサウンドへの志向が強くなっていく中、ビートルズの来日公演でブルージーンズが前座を務めることとなり、加瀬自身は大いに喜んだ。しかし、厳戒態勢下でのコンサートのため、前座のバンドは演奏後、楽屋に外からカギをかけられ、ビートルズの演奏終了後に開錠されるという措置が取られた為、加瀬は「それではビートルズの演奏が見られない」とブルージーンズを脱退してしまう(ちなみに念願が叶い、客席からビートルズの演奏を見ることはできた)[2]。 所属していたホリプロはそれでも、加瀬を引きとめ給料を支払い続けていたが、「ただで給料をもらうのも申し訳ない」と同年7月に、加山雄三が名付け親となるザ・ワイルドワンズを結成(この時、渡辺プロに移籍)。得意の12弦ギター(ヤマハ特注)は、ワンズサウンドの要となる。解散後は、PYG(ピッグ)や井上堯之バンドともかかわりを持ち、作曲家としてだけでなく、沢田研二のプロデューサーとなる(衣装早川タケジ、作詞家糸井重里の起用、パルコCFへの出演推進など功績は多岐にわたる。井上バンド解散後も沢田を支え続けた)。


1981年1月、日本劇場取り壊しに伴う最後の日劇ウエスタンカーニバルにザ・ワイルドワンズ(加瀬、鳥塚茂樹、島英二、植田芳暁、渡辺茂樹)のメンバー5名が集結して出演したことを契機として、ザ・ワイルドワンズの再結成話が持ち上がり、仕事の都合で参加を辞退した渡辺を除くメンバー(加瀬、鳥塚、島、植田)4名でザ・ワイルドワンズを再結成した。一時期、渡辺茂樹と共にタイガース・メモリアル・クラブ・バンドにも在籍した。


“ケネディハウス銀座”のオーナーや、加山雄三&ハイパーランチャーズのプロデューサーとしても活躍した。


1994年に食道癌の手術をしたことを著書で明かしていた。2014年には下咽頭癌を発症し、手術後は自宅療養していた[1]。


2012年4月21日、ももいろクローバーZの横浜アリーナでのライブ公演『ももクロ春の一大事2012 〜横浜アリーナ まさかの2DAYS〜』の一日目に百田夏菜子 With ザ・ワイルドワンズとして参加。加瀬邦彦が百田夏菜子の為のソロ曲として作詞・作曲した「渚のラララ」を披露した。


2015年4月20日午後9時、自宅にて自殺を図り、死亡した[1]。74歳没。呼吸用のチューブがふさがれた状態で発見された[3][4]。通夜は27日に葬儀委員長を鳥塚しげきらザ・ワイルドワンズのメンバーが務めて護国寺で営まれ、音楽仲間の寺内タケシ、高木ブー、中村あゆみ、モト冬樹、エド山口、江木俊夫らが参列した[5]。翌28日葬儀・告別式が営まれ、岸部一徳、森本太郎、瞳みのる、つのだ☆ひろなど関係者300人が参列し、仕事の都合で葬儀に参列できなかった加山雄三は音声メッセージで加瀬を哀悼した[6]。戒名は常樂院悠照清邦居士[5]。


同年、第57回日本レコード大賞・特別功労賞が贈られた[7]。


逸話
・日本のエレキ・バンドが日本語の歌詞で歌ったものとしては草分け的存在であるオリジナル楽曲「ユア・ベイビー」は、加瀬がブルージーンズ時代に作曲してシングルでも発売されたが、ワイルドワンズ時代においても新たにレコーディングし、「想い出の渚」と共に両A面扱いで発売された。


主な作曲作品
・1966年 『想い出の渚』(作詞:鳥塚繁樹、歌:ザ・ワイルドワンズ)
・1967年 『夕陽と共に』(作詞:ザ・ワイルド・ワンズ、歌:ザ・ワイルドワンズ)
・1967年 『青空のある限り』(作詞:安井かずみ、歌:ザ・ワイルドワンズ)
・1968年 『愛するアニタ』(作詞:山上路夫、歌:ザ・ワイルドワンズ)
・1968年 『バラの恋人』(作詞:安井かずみ、歌:ザ・ワイルドワンズ)
・1968年 『花のヤングタウン』(作詞:島田陽子、歌:ザ・ワイルドワンズ)
・1968年 『青い果実』(作詞:山上路夫、歌:ザ・ワイルドワンズ)
・1968年 『シー・シー・シー』(作詞:安井かずみ、歌:ザ・タイガース)
・1969年 『あの頃』(作詞:安井かずみ、歌:ザ・ワイルドワンズ)
・1969年 『赤い靴のマリア』(作詞:山口あかり、歌:ザ・ワイルドワンズ)
・1972年 『許されない愛』(作詞:山上路夫、歌:沢田研二)
・1973年 『情熱の砂漠』(作詞:山上路夫、編曲:星勝、歌:ザ・ピーナッツ、陳和美らもカバー)
・1973年 『指輪のあとに』(作詞:安井かずみ、歌:ザ・ピーナッツ)
・1973年 『マンジョキロックンロール』(作詞:内田裕也、歌:内田裕也と1815ロックンロールバンド)
・1973年 『あなたへの愛』(作詞:安井かずみ、歌:沢田研二)
・1973年 『危険なふたり』(作詞:安井かずみ、歌:沢田研二)
・1973年 『胸いっぱいの悲しみ』(作詞:安井かずみ、歌:沢田研二)
・1974年 『恋は邪魔もの』(作詞:安井かずみ、歌:沢田研二)
・1974年 『追憶』(作詞:安井かずみ、歌:沢田研二)
・1974年 『冬の駅』(作詞:なかにし礼、歌:小柳ルミ子)
・1974年 『黄昏の街』(作詞:林春生、歌:小柳ルミ子)
・1975年 『白い部屋(作詞:山上路夫、歌:沢田研二)
・1976年 『ウィンクでさよなら』(作詞:荒井由実、歌:沢田研二)
・1978年 『女はそれを我慢できない』(作詞:加瀬邦彦、歌:アンルイス)
・1979年 『ベイビー・アイ・メイク・ア・モーション』(作詞:岩沢律、歌:レイジー)
・1980年 『TOKIO』(作詞:糸井重里、歌:沢田研二)
・1980年 『恋のバッド・チューニング』(作詞:糸井重里、歌:沢田研二)
・1980年 『夢みるマイ・ボーイ』(作詞:岡田冨美子、歌:榊原郁恵)
・1981年 『めざめてキス・ミー』(作詞:竜真知子、歌:甲斐智枝美)
・1983年 『ホタテのロックン・ロール』(作詞:内田裕也、歌:安岡力也)
・1984年 『超電子バイオマン』(作詞:康珍化、歌:宮内タカユキ)
・1987年 『きわどい季節』(作詞:阿久悠、歌:沢田研二)
・2010年 『渚でシャララ』(作詞:三浦徳子、歌:ジュリーwithザ・ワイルドワンズ)
・2012年 『渚のラララ』〔作詞・作曲:加瀬邦彦、歌:百田夏菜子(ももいろクローバーZ) with ザ・ワイルドワンズ〕


活動歴
・1964年 ユア・ベイビー(元々はブルージーンズ時代作曲。)後に、ワイルドワンズ時代多数作曲。
・1974年 天使なんていない(西郷輝彦、作曲)
・1979年 ベイビー・アイ・メイク・ア・モーション(レイジー、作曲)
・1981年 青空オンリー・ユー(ひかる一平、作曲)
・1981年 アップルパップルプリンセス(竹内まりや、作曲)
・1984年 「超電子バイオマン」主題歌『超電子バイオマン』『バイオミック・ソルジャー』(ほか、挿入歌も数曲)作曲
  セイントフォーのデビュー曲なども手がけている。
・1976年 THE DAY BEFORE TOMORROW 自身のソロ・アルバム (世界各国の7人の歌手が唄っている)
1988年 懐かしきラブ・ソング タイガース・メモリアル・クラブ・バンド、作曲
・1990年 君よ女神のままに タイガース・メモリアル・クラブ・バンド、作曲
・未来への花束 タイガース・メモリアル・クラブ・バンド、作曲
・2001年 『ビートルズのおかげです』出版 ISBN 4870995530 ザ・タイガース・ザ・ピーナッツ・ZOOなどにも楽曲を提供している。


著書
・「ビートルズのおかげです」 ― ザ・ワイルド・ワンズ風雲録 あの頃の音楽シーンが僕たちのスタイルを生んだ (エイ出版) 2001年 ISBN 978-4870995536


脚注
1. a b c ワイルドワンズ加瀬邦彦さん 自殺だった…所属事務所が発表 スポニチアネックス 2015年4月22日
2. 千葉テレビ「青春グラフティー倶楽部」2009年5月8日放送。
3. “ザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦さん自殺、自宅洗面所前で見つかる”. sanspo.com (2015年4月22日). 2015年4月22日閲覧。
4. “加瀬邦彦さん急死、喉のチューブ塞がり自殺の可能性も”. スポーツ報知 (2015年4月22日). 2015年4月21日閲覧。
5. a b “加瀬邦彦さん通夜 寺内タケシら参列”. デイリースポーツ (2015年4月28日). 2015年4月30日閲覧。
6. “加瀬邦彦さん葬儀 加山雄三「つらい」”. デイリースポーツ (2015年4月28日). 2015年4月30日閲覧。
7. “『レコ大』司会、2年連続で安住アナ&仲間由紀恵 クマムシに特別賞”. ORICON STYLE (2015年11月20日). 2015年11月20日閲覧。


外部リンク
・加瀬邦彦オフィシャルブログ
(wikiより)


 加瀬邦彦