酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


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7421 松平康元墓(野田市関宿台町57・宗英寺)

松平 康元(まつだいら やすもと)は、戦国時代から江戸時代初期の武将、大名。


久松俊勝の次男。徳川家康の異父弟にあたる。


生涯
永禄3年(1560年)3月、異父兄・家康と会見して康元と改名し、それに伴い松平姓を下賜されたという(『寛政譜』他)。永禄5年(1562年)上ノ郷城主となる。天正18年(1590年)落城後の小田原城の守備にあたり、同年下総国関宿藩2万石の所領を与えられ、翌19年には4万石に加増された。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、家康の代理として江戸城の留守居役を務めている。


慶長8年(1603年)に死去した。享年52。嫡男の忠良が家督を継いだ。


子女
康元の娘の多くは、異父兄の徳川家康の養女となり、政略結婚の道具として使われた。


男子
・松平忠良
・松平政良
・松平康久
・松平宣助


女子
・洞仙院(家康養女、岡部長盛継室)
・流光院(家康養女、菅沼定仍正室)
・満天姫(家康養女、福島正之正室のち津軽信枚正室)
・久松院(家康養女、田中忠政正室のち松平成重継室)
・某(家康養女、大須賀忠政正室のち菅沼定芳正室)
・浄明院(家康養女、中村一忠正室のち毛利秀元継室)


脚注
1. 生年および享年は『寛政譜』の記述に拠る。これは『寛永諸家系図伝』、『藩翰譜』において記された所伝と一致する。『御九族記』(国立公文書館所蔵)では享年53、生年を天文20年としているが(汲古書院刊行本『朝野旧聞裒藁』12巻410項)、これは弟の勝俊の生年に配慮したものと考えられる。
2. 『寛政譜』に拠る。新訂1巻279項


家臣
坂部勝之(坂部弥内、家康より付属されて家老となり、姉川の役・三方原の役等で活躍した。)


外部リンク
・ザ・登城 関宿・宗英寺にある康元の墓石
(wikiより)