酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

また前記事については、「リンク」より『 酔いどれJohnny『意外と身近にある歴史散歩』 』を御覧下さいませ。

7419 牧野康成公供養塔(野田市関宿台町2946・光岳寺)

開基は徳川家康の異父弟 松平康元が天正 18年 ( 1590 ) 初代関宿城主になられた時に、母君 ( 於大の方 - おだいのかた -、家康と康元の生母 ) の孝養と子孫繁栄等を祈り建立されました。


正一位 於大の方 ( 傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼 ) は慶長 7年 ( 1602 ) 8月 29日に逝去されています。


開山上人は、関東十八檀林の一つである水海道 飯沼 弘経寺より導蓮社玄誉上人善慶天機大和尚を迎えています。


当山は建立当初は弘経寺と称していましたが家康公の命により飯沼・結城・大鹿・関宿と周辺に四つも同じ名前 ( 弘経寺 ) を持つお寺があるのはまぎらわしいので、於大の方の戒名よりとって「光岳寺」と改めるようにいわれ、以後康元は「光岳寺」と改めて於大の方菩提所と定めました。於大の方の御遺骨は東京小石川の傳通院に葬られており、家康公により菩提寺と定められました。


当山には於大の方のために建立した御守仏地蔵尊と御歯骨、御位牌等が康元により奉納されています。


現在、御守仏地蔵尊は延命子育地蔵尊として信仰されています。


当山には他に、家康公の御位牌・関宿藩士で勤王の志士である「杉山対軒」の顯彰碑と対軒直筆の額及び第 7代関宿城主であった牧野信成が、父である康成のために建立した供養塔が残っています。


関連情報
https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1359.html
1258 於大の墓(文京区小石川3-14-6・伝通院)