酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


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7366 第三十四號驅潜艇戦没者慰霊碑(呉市上長迫町・旧海軍墓地)

「第三十四号駆潜艇」は、第13号型駆潜艇として、昭和17年8月31日播磨造船所で竣工した。


第13号型駆潜艇は戦時中建造の主力を占める優秀な性能の駆潜艇で、各地で奮戦し49艇中35艇(71%)が海没するという大きな損害をだした型式であった。


本艇は、竣工後横須賀回航、三陸方面沿岸の海上警備に従事したのが初陣であった。 


昭和17年12月29日第二特別根拠地隊に編入、ウエワクに入港直ちに船団護衛、対潜哨戒に従事した。


昭和18年はパラオ、比島、ボルネオ、ジャワと各地を転戦して武勲をたて、昭和19年には第十五特別根拠地隊に編入され、シンガポールに配備された。


昭和20年3月26日、アンダマン向け船団護衛中、英駆逐艦2隻と遭遇し被弾、宇佐美艇長以下百十余名が散華した。


戦後22年たって元乗組員の岡本照男氏が、共に戦って散華した戦友の冥福を祈り、艇の武勲を永く後世に伝えるためにこの" 碑 "を建立した。


                                   
呉鎮守府所属第34号駆潜艇450トン 速力16ノット


昭和17年8月31日兵庫県相生市播磨造船所に於て竣工、横須賀に廻航三陸方面沿岸の海上警備に従事。


昭和17年12月29日午後2時横須賀を出港、第二特別根拠地隊附としてニューギニア、ウエワクに向う。


サイパン、ラバウルを経て昭和18年1月22日午前9時30分ウエワクに入港、直ちに沿岸の警備日夜を分たず船団の護衛又は潜水艦哨戒に従事。


昭和18年10月30日呉軍港に帰港相生に廻航播磨ドックに於て船体、兵器、機関の修理を行い、昭和18年11月29日パラオに向け出港パラオ入港以後パラオ ← → ニューギニア間の舶団の護衛又は潜水艦掃蕩に従事し南太平洋に戦う最後の日本艦艇となるまで活躍し赫々たる武勲をあげたり、比島、セレボス、ボルネオ、ジャワと転戦し昭和19年10月艦隊編成変更に依り第15特別根拠地隊(ペナン)隊附となり昭南に廻航第10特別根拠地隊司令官の指揮下に入る北に南に舶団の護衛沿岸の警備に従事。


昭和20年3月22日「ペナン」を出港印度洋東部「ニコバル」「アンダマン」方面に向け舶団護衛の途中、昭和20年3月26日午前9時30分頃北緯10度38分東経94度42分の海上に於て英国駆逐艦2隻と遭遇し数時間にわたる交戦の末、午前1時頃撃沈され艇長以下百十余名は艇と運命を共にした。


昭和42年3月26日この碑を建立し戦友の冥福を祈ると共に艇と戦友の武勲を末永く伝える。


碑(表)初代艇長 逆 井 保 治 謹書


(裏)呉鎮守府所属第三十四号駆潜艇 四百五十トン 速力十六ノット


昭和17年8月31日播磨造船所に於て竣工、横須賀に回航三陸方面の沿岸警備、 昭和17年12月29日ニューギニア方面に向け出撃以来南方海域に於て日夜戦斗に 従事、昭和20年3月26日ニコバル・アンダマン方面に向けて船団護衛の途中英国 駆逐艦2隻と遭遇し3時間にわたる交戦の末撃沈され艇長以下110余名艇と運命を共にす。


昭和42年3月26日この碑を建立して戦友の冥福を祈ると共に艇と戦友の武勲を末 永く伝える。