酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


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7360 潜水母艦長鯨戦没者慰霊碑(呉市上長迫町・旧海軍墓地)

長鯨は、迅鯨型潜水母艦(竣工時は水雷母艦)の2番艦である。 


迅鯨型は潜水母艦として新造された最初の艦で、1番艦の迅鯨は大正9年度計画で、2番艦の長鯨はワシントン条約の関係で、大正12年度計画で建造された。 


本型は3個潜水隊(海中型潜水艦各3隻)よりなる潜水戦隊の母艦兼旗艦として計画された。 


母艦としては、潜水艦乗員の宿泊施設、物資補給、兵器の整備・調整、修理能力を有し、戦隊旗艦としての通信能力、司令部設備などが設置された。


1927年(昭和2年)には、偵察能力向上のため水上偵察機が搭載されたが、射出機は設けられず、デリックで水面に降ろして発進させるものであった。 


昭和期に入り、水上速力の優れた海大型潜水艦の就役が始まると、本艦の戦隊旗艦としての能力不足が問題となった。 このため、潜水戦隊旗艦として、5,500トン型巡洋艦があてられることとなった。 


1933年(昭和8年)以降、断続的に潜水戦隊の旗艦を務めていたが、1939年(昭和14年)には、新鋭艦(大鯨、剣埼)の就役により練習艦となった。 


1940年(昭和15年)11月の臨戦態勢で第六艦隊第二潜水戦隊の旗艦に復帰した。  


開戦後は、南西方面の攻略に参加したが、1942年(昭和17年)4月に潜水学校練習艦となり内海西部で訓練に従事した。 


1943年(昭和18年)に入り、トラック方面に進出、南東方面艦隊第七潜水戦隊の母艦任務に就いた。 


同年末に内地に帰投してからは、1944年(昭和19年)8~9月の沖縄輸送任務に参加した以外は、内海西部で訓練に従事した。


終戦時には舞鶴で艦橋部を空襲により破壊された状態ではあったが残存しており、艦橋部を修復の上、復員輸送に従事した後、1946年(昭和21年)、日立造船向島工場で解体された。