酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


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7357 第六三四海軍航空隊 九三四海軍航空隊(呉市上長迫町・旧海軍墓地)

・第六三四海軍航空隊
第六三四海軍航空隊瑞雲隊は、水上爆撃機瑞雲二十四機を以て、昭和十九年五月岩国基地に於て編成し、呉海軍航空隊で訓練を実施した、その搭乗員は隊長及び分隊長等一部を除き、二十才前後の祖国愛に燃え元気溌剌たる若者たちであった。


戦局愈々急迫を告げ 敵軍比島レイテに上陸するや、命に依り呉基地を発進、同年十月十八日ルソン島キャビテに進出、これより苛烈な比島攻防戦に突入し、主としてラモン湾及びレイテ湾の敵艦艇を攻撃した。


戦斗は激烈を極め多大の損害を受けたが、呉残留隊の進出並に新たに偵三〇一飛行隊の編入を得て、レイテ湾を発進し怒涛の如く北上する敵艦艇を、ミンドロ島サンホセ及びリンガエン湾に捕捉、攻撃を反覆し敵艦艇撃沈破百三十隻以上、敵機撃墜破数十機に達する戦果を挙げ、大西海軍航空隊司令長官より、数度に亘り感状・賞詞を受くる栄誉に浴した


戦局の推移と共に、命に依り昭和二十年二月台湾に転進、三月には沖縄戦に出撃、亦五月新たに偵三〇二飛行隊の編入を得て、終戦に至るまで、沖縄周辺の敵艦艇を反覆攻撃し多大の戦果を獲得せり。


然し乍ら、我が方の損害甚だしく、地上勤務員を含めて、三百余名の有意な人材を失うに至った、


是将に痛恨の極みである。


吾等生存者相計りて、ここに碑を建て之を永く後世に伝え、併せて鎮魂の徴とする。


・第九三四海軍航空隊
第九三四海軍航空隊は、昭和十七年二月三座水偵隊として編制され、マニラ パリツクババンを経て、同年六月には南遣艦隊付属となり、アンボン島ハロンに進出、マイコール基地を併用、観測隊。


水戦隊を加え、濠州北方アラフラ海方面の警備、制空権保持等の為、勇戦奮斗数々の偉勲を挙げたのである。


昭和十九年にはマカツサルに、同年二十年にはフィリツピンに移動、その間克く困苦欠乏に耐え、任務の遂行に全力傾尽せしも、敵機との空中戦及び敵の爆撃等による戦死者は、二百余名の夥しいしいかずに及び、悔いて尚且つ余りあり、真に痛恨の限りである。


このたび、当時の部隊関係生存者有志相はかり、これら戦死者の冥福を祈ると共に、苦戦の実情を、永く後世に伝えんと、ここに、第六三四、第九三四海軍航空隊の、合同慰霊碑を建立するに至る。