酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


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7338 軍艦鬼怒慰霊碑(呉市上長迫町・旧海軍墓地)

鬼怒は、5500トン型巡洋艦の2番目のグループである長良型巡洋艦の5番艦である。 


日露戦後の海軍国防方針は、アメリカを主敵とし、来攻するアメリカ艦隊を日本近海での迎撃決戦で撃破するというものであった。 


このためには、主力艦隊前方で偵察や索敵、艦隊決戦時に水雷戦隊の嚮導にあたる巡洋艦を多数必要とした。  


これに対応して、大正5年度計画で天龍型巡洋艦(常備排水量3,500トン、33ノット、14cm砲4門)2隻を建造した。 


続く大正6年の八四艦隊計画では、天龍型と同型の3,500トン型巡洋艦6隻と7,200トン型巡洋艦3隻が計画されたが、3,500トン型は列強の巡洋艦に比して非力であると判断され、引き続く八六艦隊案の策定にあたっては計画の見直しを行い、全ての巡洋艦を5,500トン型に統一して建造することとした。 


なお、7,200トン型巡洋艦への統一は建造費の問題があって、断念されたようである。


5500トン型巡洋艦は天龍型の船型を拡大し、砲力と速力の強化を図ったもので、最初のグループである球磨型では14cm砲7門、53cm連装魚雷発射管4基、速力36ノットとされた。 


長良型は主砲と速力はそのままに、搭載魚雷を61cmに強化して、連装魚雷発射管4基を装備した。 主砲は列強巡洋艦の15.2cmに対して14cmを採用している。 


これは、砲弾重量を当時の日本人の体格に合わせて軽いものにし、単位時間当たりの投射量と砲撃持続時間を確保したかったためである。 


また、一号機雷とその敷設装置のため、艦後部の砲はシェルター甲板上に装備とされている。 


一号機雷は機雷4個を長さ100メートルの連繋索で繋いだもので、これを敵艦隊前方の海面に投下し、敵艦隊の漸減または混乱を狙ったものであった。  


この一号機雷の連繋索を乗り切るために、艦首は水線部で30°の角度で後方に傾斜し、水面下では大きなカーブを描いて艦底に達する形状とされた。 


球磨型では、水上偵察機1機が搭載されたが、デリックで海面に降ろして発進させなければならず、アメリカ巡洋艦オマハ型に比べて見劣りするものとなった。 


このため長良型は艦橋下部に格納庫を設け、その前方に滑走台方式の発艦装置を装備したが実用性に乏しく、ほとんど使用されなかった。


1930(昭和5年)10月、滑走台の上に呉式二号二型射出機を装備、九〇式一号水上偵察機を搭載した。 


1934(昭和9年)4月~8月末に近代化改装が実施され、滑走台と射出機を撤去、5番砲塔と6番砲塔の間のシェルター甲板上に呉式二号三型射出機を装備した。 


また8cm単装高角砲は13mm連装機銃に換装された。 


この後、水雷兵装を九三式魚雷(酸素魚雷)16本と九二式4連装発射管2基とにする計画が立てられたが、最後まで実現しなかった。


開戦後は、マレー、ジャワ、西部ニューギニア各地の攻略に参加した。 


1942年(昭和17年)3月10日、第二南遣艦隊第十六戦隊に編入されて以降は、短期間の交通破壊戦に就く他は輸送任務や海上交通保護に従事した。 


1944年(昭和19年)10月の捷一号作戦時にはフィリピン各地への輸送に従事していたが、オルモックからの帰途、アメリカ軍機の攻撃により、パナイ島北方で被爆沈没した(10月26日)。