酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


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7328 駆逐艦呉竹慰霊碑(呉市上長迫町・旧海軍墓地)

呉竹は若竹型駆逐艦の2番艦である。


日露戦後の海軍国防方針は、アメリカを主敵とし、来攻するアメリカ艦隊を日本近海での迎撃決戦で撃破するというものであった。 


このため航洋型駆逐艦として、1911年(明治44年)に排水量1,000トンを超える一等駆逐艦海風型が建造された。 


しかしながら、予算上の制約で大型駆逐艦を多数建造できないため、同時に中型(二等)駆逐艦として桜型が建造され、引き続いて樺型、桃型、楢型が建造された。


1917年(大正6年)度予算(八四艦隊計画)および1918年(大正7年)度追加予算(八六艦隊計画)で建造された樅型は、同時期に建造された峯風型一等駆逐艦の小型版であった。 


本型の艦型は、それまでの短い船首楼の後端に艦橋を設けた形式とは異なり、艦橋直前に1段下がったウエルデッキを設け、ここで波浪を受け止めて艦橋への直撃を防ごうとしたものであった。 


また、二等駆逐艦として初めてオールギアードタービンを搭載し、缶も重油専焼缶とされた。  


主砲は12cm砲単装3門とし、波浪の影響を避けるため上甲板より一段高い位置に装備した。 魚雷発射管は連装2基を前部のウエルデッキに1基、後部に1基を装備した。


若竹型は樅型の改正型で、高速旋回時の船体傾斜を抑えるため、艦幅0.15m、喫水を0.1m増大している。 全部で23隻の建造が予定されていたが、ワシントン海軍軍縮条約の結果、8隻で打ち切られた。 


以後の整備は大型駆逐艦に絞られたため、本型が最後の二等駆逐艦となった。 


1922年(大正11年)12月21日に竣工した呉竹は、長く第一水雷戦隊にあって第一艦隊の直衛を務めた後、中国方面の警備任務に従事した。 


太平洋戦争(大東亜戦争)では、主として台湾方面での船団護衛任務に従事した。