酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


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7311 第八十二号海防艦戦没者慰霊碑(呉市上長迫町・旧海軍墓地)

これからは、呉の特集となります。




「第八十二号海防艦」は、偶数番号型海防艦として、昭和19年12月31日三菱長崎造船所で竣工、急速訓練ののち翌20年2月15日第一海防隊に編入された。


船団護衛任務につき南に北に奮戦し、終戦を目前にした7月5日、第二海防隊に編入され隠岐島に移動した。


8月9日羅津、清津方面上空に猛火煙を望見、攻撃中の100余機視認、ソ連参戦の電報受信で、攻撃の飛行機はソ連機と判明した。


8月10日最後の避難船(向日丸)を護衛して南下中、ソ連雷撃機隊24機が来襲、次いで第二波が来襲、魚雷が後部に命中、瞬時に沈没した。93名が向日丸に救助されたが、機関長田島長次郎大尉以下117名が終戦を目前にして散華した。


戦後、27年たって生存者の間で、共に戦って散華した戦友の英霊を鎮魂をする声があがり、この碑をお参りに来る人々と共に永遠の平和を願ってこの〃碑〃を建立した。                                 


第82号海防艦は昭和19年暮当時東南アジアから南北太平洋全域に拡大された戦線の随所において戦況極めて不利の状況に転じていた頃三菱長崎造船所で竣工直ちに第一線部隊に編入せられ就役したものである。


乗組総員215名、明けて昭和20年初頭から船団護衛対潜掃蕩作戦に従事し終戦直前の同年8月10日日本海方面において単艦作戦行勤中ソ連機の来襲を受け、これを多数撃墜せるも間断なき敵機の攻撃により遂に被雷爆沈117名将兵の尊い命を一瞬のうちに失ったのである。


爾来27年平和と繁栄の時代を迎えた今日生存者相寄り、かねて念頭の慰霊碑を此所ゆかり地に建立し心からなる祈りを捧げて戦没者の霊を慰め且つこの地を訪れる人々と共に永遠の平和を希うものである。(航海長 歴 義一郎)