酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


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また前記事については、「リンク」より『 酔いどれJohnny『意外と身近にある歴史散歩』 』を御覧下さいませ。

7241 西郷隆盛誕生地(鹿児島市加治屋町)

文政10年(1827)、小姓与の吉兵衛の長男として生まれ、郷中教育の中で文武に励み、禅学も修めた。17才で郡方書役助となり、やがて島津家28代当主斉彬に登用され、将軍継嗣及び条約勅許問題に奔走した。


しかし、安政の大獄に斉彬の急死も重なって帰藩した。


その後、僧 月照との投身事件を起こしたものの、一命はとりとめた。


その後、2度の島流しを体験し、元治元年(1864)召還後、藩政の中核として活躍し、維新の原動力となった。


維新後、新政府の参与、参議、陸軍大将などとなり、廃藩置県、兵制、地租改正等を断行したが、いわゆる征韓論に破れて帰郷し、私学校を設立した。


明治10年(1877)私学校生徒の決起により、西南戦争が起こり、圧倒的な政府軍の前に、城山の露と消えた。


関連情報
https://drunkenjohnny2nd.muragon.com/entry/841.html
7171 西郷隆盛墓(鹿児島市上竜尾町2-1・南洲墓地)