酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


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7228 橋口傳蔵伴兼備墓(鹿児島県鹿児島市南林寺町)

橋口 伝蔵(はしぐち でんぞう、天保2年(1831年) - 文久2年4月23日(1862年5月21日)[1])は、幕末の薩摩藩士。同藩士・橋口与三次の次男[1]。諱は兼備[1]。


経歴
天保2年(1831年)鹿児島城下で誕生。


江戸で安井息軒に学び、後に江戸藩邸の記録所書記となった[1]。


文久2年(1862年)橋口壮介らと江戸を脱して[1]上洛し、有馬新七らと佐幕派の九条尚忠や酒井忠義襲撃を画策する。


しかし京都寺田屋で集合中に島津久光に派遣された鎮撫使側の奈良原繁らによって斬殺された[1](寺田屋事件)。


贈従四位[1]。墓所は京都市伏見区の大黒寺[1]。


親族
・兄 橋口兼三(貴族院議員)
・弟 樺山資紀(海軍大将)


脚注
1. a b c d e f g h 『明治維新人名辞典』775頁。


参考文献
・日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
(wikiより)


関連情報
http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/309.html
296 寺田屋(伏見区南浜町263)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/312.html
299 寺田屋お登勢墓(京都市伏見区本材木町676・松林院)


https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/386.html
372 安井息軒墓(文京区千駄木5・養源寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3623.html
3366 伏見寺田屋殉難九烈士之墓(京都市伏見区鷹匠町4・大黒寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3625.html
3367 有馬新七墓(京都市伏見区鷹匠町4・大黒寺)


http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3638.html
3377 橋口伝蔵墓(京都市伏見区鷹匠町4・大黒寺)


https://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3649.html
3387 橋口壮介墓(京都市伏見区鷹匠町4・大黒寺)