酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


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7052 島津久峰墓(南九州市知覧・島津墓地)

島津 久峰 ( しまづ ひさたか ) は、江戸時代中期の薩摩藩士。


知覧島津家 18代当主。


生涯
享保 17年 ( 1732年 )、藩主・島津継豊の三男として生まれ、家老・島津久豪の養子となる。


延享 2年 ( 1745年 )、養父の死去により家督を相続する。


寛延 2年 ( 1749年 ) 藩主の兄・重年の家督相続御礼言上の登城に同行して、江戸城で将軍・徳川家重に拝謁する。


宝暦 3年 ( 1753年 )、若年寄となる。同年、谷山地頭職。


宝暦 9年 ( 1762年 )、若年寄を免じられ、引き続き月番国老として家老と共に国政に参画することを命じられ、席次を宮之城家島津久亮の上席とされる。


宝暦 10年 ( 1763年 )、末吉地頭職。


宝暦 13年 ( 1766年 )、出水地頭職。同年、病を理由に職を辞することを願い出て許された。


明和 9年 ( 1772年 ) 6月没、享年 41。


参考文献
・『知覧郷土史』


戒名 : 照源院殿円応義鑑大居士
(wikiより)