酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


どんな話題が有ったのかについては、カテゴリー・タグの『 ブログ更新情報 』を御覧下さいませ。

また前記事については、「リンク」より『 酔いどれJohnny『意外と身近にある歴史散歩』 』を御覧下さいませ。

7314 軍艦廣丙遭難哀悼碑(呉市上長迫町・旧海軍墓地)

広丙 (防護巡洋艦)
広丙(こうへい)は、清国海軍の防護巡洋艦で広乙級2番艦。日清戦争の際に降伏、日本海軍に編入され、新鋭艦として期待されていたが、1年足らずで座礁、沈没した。


艦歴
・1891年4月11日 清国の福州船政局馬尾造船所で進水。
・1892年 広丙(Kwang-Ping)として竣工、広東水師に所属。
・1894年 日清戦争開戦直前に北洋水師に編入。
 ・9月17日黄海海戦に参加、海戦後は旅順に回航。旅順陥落後は威海衛へ移動。


・1895年2月17日 威海衛で日本軍に降伏。
 ・3月16日 戦利艦として日本海軍の艦籍に入る。
 ・12月21日 台湾方面で任務中、澎湖島南岸で座礁、沈没
・1896年2月18日 除籍


艦長
清国海軍
 ・林承謨:1891年4月26日 - 1892年秋
・程璧光:1892年秋 - 1895年2月17日


日本海軍
 ・藤田幸右衛門 少佐:1895年8月23日[1] -


脚注


1.『日本海軍史』第10巻、398頁。


参考文献
・雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第5巻 重巡I』(光人社、1989年) ISBN 4-7698-0455-5


・福井静夫『福井静夫著作集第4巻 日本巡洋艦物語』新装版(光人社、2008年)ISBN 978-4-7698-1394-1


・福井静夫『福井静夫著作集第8巻 世界巡洋艦物語』(光人社、1994年)ISBN 4-7698-0656-6


・海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第10巻、第一法規出版、1995年。


・陳悦 『清末海軍艦船志』(山東画報、2012年) ISBN 9787547405345


関連項目
・大日本帝国海軍艦艇一覧
・清国海軍艦艇一覧


外部リンク
・北洋水師(中文)
(wikiより)