酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


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何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


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7315 軍艦天龍遭難死者記念碑(呉市上長迫町・旧海軍墓地)

天龍 (軽巡洋艦)
天龍(てんりゅう[36]/てんりう[37])は、日本海軍の二等巡洋艦[37](軽巡洋艦)で、二等巡洋艦天龍型の1番艦である[38]。艦名は遠州灘に注ぐ天竜川にちなんで名づけられた[39]。帝国海軍の軍艦としては初代天龍(木造巡洋艦)に続き2隻目となる[40]。 戦後、海上自衛隊の訓練支援艦「てんりゅう」が就役した。


概要
八四艦隊案の1隻として[6]第一次世界大戦直後(1919年11月20日[12])、横須賀海軍工廠で竣工した[2]小型軽巡洋艦[41]。「龍田」と共に日本海軍の最初の軽巡洋艦となる[36][42]。軽巡夕張をのぞけば、軽巡洋艦中で最小の艦である[43]。 主に夜戦に際して駆逐艦を率いて敵主力艦に雷撃を行う水雷戦隊の旗艦としての役割を期待された[41]。


竣工直後の同年12月1日に第二水雷戦隊[44]の旗艦となり、その後も1928年(昭和3年)まで第一水雷戦隊旗艦を3度務めた[45][46]。また竣工直後から沿海州方面の警備を数回行い、日華事変以後は華南方面で行動した[36]。


太平洋戦争では「龍田」と共に第18戦隊を編成し、ウェーク島攻略作戦や南方の諸作戦、珊瑚海海戦に参加、第一次ソロモン海戦にも参加した[36]。マダン上陸作戦支援中の1942年(昭和17年)12月18日に米潜水艦「アルバコア」の魚雷を受けて沈没した[36]。


艦歴
建造
八四艦隊案の一部として「長門」「谷風」など共に予算が成立した[6]。仮称艦名「第1号小型巡洋艦」[41]。1916年(大正5年)5月12日製造訓令[9]、5月13日、建造予定の戦艦に長門、二等巡洋艦(軽巡洋艦)2隻にそれぞれ天龍と龍田、大型駆逐艦に谷風(江風型)の艦名が与えられる[37][47]。6月26日、長門、天龍、龍田、谷風は艦艇類別等級表に登録された[3]。天龍は1917年(大正6年)5月17日に起工、1918年(大正7年)3月11日に進水、1919年(大正8年)11月20日に竣工[48]。佐世保工廠で建造された姉妹艦「龍田」(大正8年3月31日竣工)よりやや遅れての竣工だった[49]。 同年4月30日の全力公試中に左舷低圧タービンのブレード(翼)が折れ、6月26日の開放検査でも再度ブレードの折れているのが発見されたため[50]、竣工が大きく遅れていた。


詳しい事は、「天龍 (軽巡洋艦)wikipedia」をご覧下さい。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E9%BE%8D_(%E8%BB%BD%E5%B7%A1%E6%B4%8B%E8%89%A6)
(wikiより)