酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


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また前記事については、「リンク」より『 酔いどれJohnny『意外と身近にある歴史散歩』 』を御覧下さいませ。

7390 番町皿屋敷 お菊塚(神奈川県平塚市紅谷町15・紅谷町公園)

伝承によると、お菊は平塚宿役人真壁源右衛門の娘で、行儀作法見習のため江戸の旗本青山主膳方へ奉公中、主人が怒むことあって菊女を斬り殺したという。


一説によると、旗本青山主膳の家来が菊女を見染めたが、菊女がいうことを聞かないので、その家来は憎しみの余り家宝の皿を隠し、主人に菊女が紛失したと告げたので、菊女は手討ちにされてしまったが後日皿は発見されたという。


この事件は元文五年 ( 1740 ) 二月の出来事であったといい、のちに階段「番町皿屋敷」の素材となったという。


また他の話によると菊女はきりょうが良く小町と呼ばれていたが、二四才のとき江戸で殺されたといわれている。


死骸は長持詰めとなって馬入の渡場で父親に引き渡された。


この時父親真壁源右衛門は「あるほどの花投げ入れよすみれ草」と言って絶句したという。


源右衛門は刑死人の例にならい墓をつくらず、センダンの木を植えて墓標とした。


昭和二七年秋、戦災復興の区画整理移転により現在の立野町晴雲寺の真壁家墓地に納められている。
(案内板より)


関連情報
https://drunkenjohnny2nd.muragon.com/entry/1756.html
7391 お菊墓(平塚市立野町9番地・共同墓地)