酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


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7337 軍艦隼鷹慰霊碑(呉市上長迫町・旧海軍墓地)

隼鷹は、日本郵船の客船橿原丸を改装した航空母艦である。 


橿原丸は大型優秀船舶建造助成施設により建造された客船である。 


第一次大戦後の造船および海運不況は。昭和初期にその極に達した。 そこで造船業とそれに関連する中小企業の維持振興を図り、新鋭船の建造により後日の海外進出と国防強化のために、三次にわたる船舶改善施設が実施された。 


これにより日本の造船・海運界は不況を脱したが、1936年(昭和111年)頃になると世界情勢の緊迫や満州事変の勃発により、造船・海運界への対策は、不況克服から国防強化のための施設実施へと切り替えられることとなった。 


このような情勢下で、1937年(昭和12年)4.月1日から優秀船舶建造助成施設が実施された。 本施設により、後に特設巡洋艦となった大阪商船の報国丸型や、航空母艦に改装された日本郵船の新田丸型が建造された。


この優秀船舶建造助成施設と同時に、サンフランシスコ航路に配する大型客船に対して助成することが計画され、昭和13年度から大型優秀船舶建造助成施設として実施された。 


これは建造費を2,400万円とし、その60%を政府補助とするものであった。 助成を受けるための条件は、全長210m、幅25m以上、速力24ノット、総トン数26,500~27,000トン、戦時には3ヶ月で航空母艦に改装可能なこと等であった。 


これを受けて建造されることとなったのが、日本郵船の橿原丸型2隻で、橿原丸は1939年(昭和14年)3月20日に三菱重工業長崎造船所で、出雲丸は同年11月30日に川崎重工艦船工場(神戸)で起工された。 


橿原丸は当時において日本最大の客船となるはずであったが、建造途中の1940年(昭和15年)10月に航空母艦への改装が決定され、翌11月より改装工事に着手した。
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隼鷹型の飛行甲板は客船時のプロムナードデッキを延長したもので、2層の格納庫を設けていたが、常用48機+補用10機の搭載機のうち常用8~9機は露天繋止とされた。  


武装は12.7cm連装高角砲6基12門、25mm3連装機銃8基24門を備えていた。 


機関は客船時のものをそのまま用いていたが、蒸気条件は圧力40kg/cm2、温度420℃と日本海軍艦艇の中で最高のものであった。 


艦橋は煙突と一体化したアイランド型で、これは建造中の航空母艦大鳳に採用予定の構造を、実験を兼ねて取り入れたものである。 


速力がやや遅く、弱装甲であったが航空母艦としては蒼龍・飛龍に準ずる能力をもっていた。


橿原丸は1941年(昭和16年)1月21日に買収され、1942年(昭和17年)5月3日に特設航空母艦隼鷹として竣工した。 


竣工直後に龍驤とともにアリューシャン作戦に参加、その後はミッドウェー海戦で喪失した航空母艦の穴埋めとしてソロモン方面の作戦に従事、翔鶴、瑞鶴とともに空母機動部隊の中核を担った。 


1943年(昭和18年)に入ると、い号作戦に飛行機隊を派遣した他、物件輸送や航空機輸送に従事した。 


この間、11月5日には沖の鳥島沖でアメリカ潜水艦Halibatの雷撃を受け損傷、呉工廠で修理された。 


マリアナ沖海戦に参加中の1944年(昭和19年)6月20日、煙突附近に直撃弾2発うけ損傷したが、航海には支障なく内地へ帰還した。 


レイテ沖海戦には参加せず、マニラ方面への輸送任務に従事していたが、12月9日に長崎県野母崎南方でアメリカ潜水艦Seadevilの雷撃を受け損傷した。 


佐世保工廠での修理は翌年3月までかかり、その後は出撃の機会のないまま終戦を迎えた。 戦後は引き上げ任務の特別輸送艦にも指定されず、佐世保船舶工業で解体された。