酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


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7330 駆逐艦浦波慰霊碑(呉市上長迫町・旧海軍墓地)

浦波は吹雪型駆逐艦の10番艦である。 吹雪型駆逐艦は特型駆逐艦とも呼ばれる。 


1921年(大正10年)のワシントン条約により、主力艦の対米英比率を6割とされた日本海軍は、条約の制限を受けない巡洋艦以下の補助艦艇を強化し、これにより敵主力艦隊に先制攻撃をかけて漸減させる作戦を打ち出した。 


この場合でも、彼我の建造能力を考慮する必要があり、その結果、個艦性能の優越を重視するようになった。 このため軍令部は新型駆逐艦に対して、12.7cm砲6門、61cm魚雷9射線、速力37ノットの要求を出した。 


これをうけた艦政本部は「特型駆逐艦対策委員会」を設置し、新型駆逐艦の検討を実施し、軍令部要求を基準排水量1,680トンでまとめあげた。


峯風型から睦月型jまでの駆逐艦が艦橋直前に1段下がったウエルデッキを設け、ここで波浪を受け止めて艦橋への直撃を避けていたのに対し、吹雪型では長船首楼型とし、乾絃を大きくとり、艦首に強いシアとフレアを設けて凌波性を向上させた。 


主砲は連装3基6門とし、砲塔形式のシールドに収め、前部1基、後部2基の配置とした。 魚雷発射管は3連装3基9射線とし魚雷は予備を含め18本を搭載した。 この艦形と主砲配置は、その後の日本駆逐艦の基礎となり、夕雲型まで引き継がれた。


軍令部要求の重武装と高速力発揮の機関を基準排水量1,680トンに収めるために、外板厚の減少、軽合金の使用等、徹底した重量軽減策が講じられたが、1928年(昭和3年)8月10日に竣工した1番艦吹雪は、公試排水量が1,980トンの計画に対し、2,097トンと大幅に超過していた。 


しかし、速力は最大37.98ノットを記録し、航洋性にも問題はなかった。 ところが、1934年(昭和9年)に発生した友鶴事件による復原性能の改善、1935年(昭和10年)に発生した第四艦隊事件による船体強度の見直し等が実施されることとなった。 


特に吹雪型駆逐艦は第四艦隊事件で2隻が船体破断、他の艦も船体屈曲や亀裂が発生したため、徹底的な改善対策がなされた。 このため、兵装は保たれたものの、排水量の増大により速力と航続力が低下した。


開戦時には第十九駆逐隊に所属してマレー半島攻略作戦に参加した。 


1942年(昭和17年)に入ると、パレンバン、ジャワ、アンダマン攻略作戦に参加、6月にはミッドウェー作戦に主力部隊の護衛として参加したが、作戦終了後の帰路、磯波と接触事故を起こし小破した。 8月にガダルカナル戦が生起するとショートランドに進出、ガダルカナル島輸送に11回従事した。 


11月24日には第三次ソロモン海戦に参加、同海戦で沈没した綾波の乗員を救助した。


1943年(昭和18年)1月、冲鷹を護衛して横須賀に帰投、浦賀ドックで機銃増備工事を実施した。 


2月に再びトラックに進出、トラック~ラバウル輸送に従事。その後『敷波』と共に外南洋部隊に加わって、マダン揚陸作戦、八一号作戦、コロンバンガラ島輸送作戦に従事した。 


3月にスラバヤ方面に移動するが、船団護衛からの帰途の4月2日、にマカッサル付近で座礁した。 スラバヤに回航された浦波は8月13日まで修理工事をうけた。


9月20日、南西方面艦隊第十六戦隊に編入され、シンガポールを中心に輸送・護衛任務に就いた。


1944年(昭和19年)4月ダバオからサイパン、グアム、タラカンへの輸送任務に従事、6月2日には渾作戦のためダバオを出撃したが、作戦中止となり、輸送部隊をソロンまで輸送した。 


7月にシンガポールで修理を受けた後、フィリピン方面への人員、物件輸送に従事していたが、10月26日、オルモック輸送の帰途、パネイ島北西でアメリカ空母機の爆撃を受け沈没した。