酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


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7326 第百十三號輸送機慰霊碑(呉市上長迫町・旧海軍墓地)

第百十三號輸送艦は第百一号型輸送艦の1艦である。


海洋に囲まれた日本は、外征ま場合には陸上兵力の洋上輸送が必要であり、このため日本陸軍は戦前より、大発動艇(上陸用舟艇)や神州丸(揚陸艦)のような上陸作戦支援艦艇を整備していた。 


日本海軍においても、旧式駆逐艦を転用した哨戒艇の艦尾にスリップ・ウェイを設けて、大発を発進させる機能を持たせ、緒戦の島嶼攻略戦に使用した、 1942年(昭和17年)8月に始まったガダルカナル戦では敵制空権下での兵員物資輸送が実施された。 


これは、夜間に駆逐艦などの高速艦艇で突入し、夜明けまでに敵制空権外に脱出する任務であり、多くの駆逐艦を喪失することとなった。 


このような背景から、高速大量輸送ができる輸送専門の艦艇が要求され、1943年(昭和18年)中期ごろに軍令部より2種の輸送艦の計画要求があり、これにより出現したのが第一号型輸送艦(一等輸送艦)および第百一号型輸送艦(二等輸送艦)である。


第百一号型輸送艦は「戦車輸送」の要求を受けて計画されたもので、海岸へ直接接岸して戦車などを揚陸する機能を持った艦である。 


海軍ではこれをSB艇と称し、Sは戦車、Bは海軍の意味(当時の徴用船はAが陸軍、Bが海軍)であった。


設計にあたっては、戦時急造に適するように簡易化につとめ、兵装や艤装も最低限にとどめられた。 また、船体線図は曲線を用いず、船体3個のブロックに分けて建造する方式により、建造期間を3ヶ月に短縮することができた。 


計画に当っては、適当な機関が無かったため、中速ディーゼル3基3軸としたSB(D)艇を6隻建造し、その後は艦本式タービン1基1軸としたSB(T)艇の建造に切り換えた。 尚、タービン推進艦を第百三号型輸送艦として区別する場合がある。


本型は、船体前半部を搭載用船倉とし、艦首前面に門扉と揚陸用道板を兼ねたランプが設けられている。 


搭載能力はSB(T)艇で220トン(九七式戦車9両、人員120名、貨物22トン)、機関区画が短いSB(D)艇では250トン(九七式戦車9両、人員320名、貨物26トン)であった。 
兵装は8cm単装高角砲1門、25mm3連装機銃2基を搭載、機銃は後に増備された。


103隻が計画され、69隻が完成。 完成艦のうち20席が陸軍にSB艇として引き渡された(後に6隻が海軍に返還)。 


海軍所属艦のうち40隻が戦没した。 


竣工後に充分な訓練が行われないまま南方方面の輸送作戦に投入され、その多くが極めて短期間に失なわれた。 第百十三号輸送艦は竣工後41日で沈没したが、短いものでは31日(百三十号、百三十三号)というものがある。