酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


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また前記事については、「リンク」より『 酔いどれJohnny『意外と身近にある歴史散歩』 』を御覧下さいませ。

7320 第二十四特根付特設駆潜艇第十八日東丸戦没者慰霊碑(呉市上長迫町・旧海軍墓地)

第十八日東丸は徴傭漁船を改造した特設駆潜艇である。


特設駆潜艇は、主として潜水艦の駆逐および防材の監視に任じ、必要に応じ哨戒に従事する300トン級の捕鯨船および100トン内外の発動機漁船である。 第十八日東丸は1934年(昭和9年)6月に藤永田造船所で完成した日東漁業(下関)所有の底曳網漁船で、以西底曳漁業に従事していた。 以西底曳漁業とは、沿岸漁業との紛争を避けるため設定された禁止線の東経130度「以西」の東シナ海・黄海での操業をさす。


1941年(昭和16年)8月28日に徴傭された第十八日東丸は、佐伯防備隊に配属され内海西部~日向灘での哨戒任務に従事していたが、1942年(昭和17年)9月に外南洋部隊指揮官(第八艦隊司令長官)の指揮下に入り、ラバウルに進出した。 同年12月には第125駆潜隊に編入され、フィリピン、インドネシア方面で船団護衛や対潜掃蕩に従事した。 終戦時には残存しており、1945年(昭和20年)12月31日に解傭されている。