酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


記事中の「オレンジ色の文字」は、クリックして頂くと「リンク記事等」にジャンプ致しますので そちらの記事も読んで頂くと、直一層深くなるかもしれません。


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7199 迫田太次右衛門墓(鹿児島県鹿児島市南林寺町)

戒名「風松堂清山涼心居士」、薩摩藩郡奉行。


西郷隆盛の上司であり、不作時でも年貢取り立てを手加減しないようにするとした酷薄な藩の政策と対立して辞職した。


迫田 利済、迫田 利濟(さこた としなり、天明6年(1786年) – 安政2年9月21日(1855年10月31日))は幕末の薩摩国の郡奉行。通称は太次右衛門(たじえもん)。


若き日の西郷隆盛を郡方書役助(こおりかた かきやくたすけ)として雇った。


西郷の聞き入れにより藩に年貢を下げるよう申し出たが、聞き入れられず辞職した。詳しい生涯はよく分かっていない。


墓所は鹿児島県鹿児島市南林寺町 曹洞宗松原山南林寺(現在は臨済宗相国寺派南洲寺)、戒名は風松堂淸山涼心居士[1]。


参考文献
・ 「三百藩家臣人名事典・6」新人物往来社、1987年(昭和62年)
1.  風松堂清山涼心居士
(wikiより)