酔いどれJohnny.2nd 『意外と身近にある歴史散歩』日々是好日 心灯 頬笑

歴史ドラマが流行っている昨今、身近に有って気が付かなかったりする様な物を取り上げたりしています。

とうとうセカンドステージに突入で御座います。


御注意 . 少ないですが生前に建てられた『 生前墓 』の記事も有ります。

その場合は『 生前墓 』の表示が付いていますので御注意下さいませ。


説明も、やたら長いものから あっさりしたものまで 関連リンクが多い記事も有りますが、御付き合いの程 宜しく御願い致します。


何か御話しの『 ネタ 』になれば幸いで御座います。


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7341 軍艦熊野慰霊碑(呉市上長迫町・旧海軍墓地)

熊野は最上型巡洋艦の4番艦である。 


最上型はロンドン海軍軍縮条約下で建造されたが、このとき日本は重巡洋艦(基準排水量1万トン以下、備砲口径15.5cm(6.1インチ)超、20.3cm(8インチ)以下)の保有枠を使い切っており、備砲口径15.5cmの軽巡洋艦として建造し、有事の際には20.3cm砲に換装する計画とした。 


しかしながら、軽巡洋艦(基準排水量1万トン以下、備砲口径12.7cm(5インチ)超、15.5cm(6.1インチ)以下)の保有枠を使っても単艦排水量を8,500トンとせざるを得ず、きわめて無理のある設計となった。


建造中に友鶴事件が発生したため、船体線図を改め、中甲板以上の甲板高さを低下し、重心降下および重量軽減をはかるなどの性能改善対策が施された。 


熊野の浸水直前の1935年(昭和10年)9月、最上および三隈が第四艦隊事件に遭遇した。 


他艦に比べて最上と三隈の損害は軽かったが、最上では艦首外板に皺が生じた。 最上、三隈は公試運転で発生した、船体振動による推進器付近の外板および肋材の亀裂、艦首外板の皺発生、3番砲塔の旋回困難などの不良に対して船体の補強が実施されていたが、再度の事故発生により抜本的な対策が必要となった。 


このため、熊野は工事を中断し、最上、三隈に準じた性能改善工事を実施し、1937年(昭和12年)10月31日に竣工した。 ロンドン海軍軍縮条約破棄後、計画通りに20.3cm砲に換装されることとなり、1939年(昭和14年)5月20日~10月20日に呉工廠で施工された。 


この状態で開戦を迎えたが、戦時中には戦訓による機銃の増備や、電波探信儀の装備などが実施された。